リケジョ、双子の母になるってよ

長男と双子姉妹の三児の母としてワーママしてます。双子妹はC型食道閉鎖症、椎体異常を持って生まれてきました。

料理ができない夫が子どもと2人暮らし。料理はどうする?

うちの夫は料理ができません。

ですが、双子を妊娠した私は管理入院のため予定日予定日3ヶ月前から入院することになりました。

 

夫だけなら放っておきますが、当時2歳の長男の食事はどうするか?これが一番の問題でした。

我が家はどうしたのかをお話しします。

 

家事代行サービスを依頼

一言で言えば週1回、作り置きを作ってもらいました。

 

でもこれが結構大変だった。

 

いい感じなら産後もそのままお世話になりたかったけど、結構大変だったので私が退院してからはお願いしませんでした。

 

まず食の好みが合う人を探す

定期できてもらうことを見越しますが、一度スポットで味付けや料理は料理方法の好みが合う人を探さなくてはいけません。

 

ずいぶん前に1回来てもらった人が抜群に素晴らしかったのでまたお願いしたかったのですが、やはりみんないいと思うようでスケジュールが空いておらず…

 

新しい人にお願いしました。

 

が、一人目は事前連絡中から???と思うことが多々あり、作ってもらったお料理も2歳児には味が濃すぎたり固かったり…

あまり小さな子向けではありませんでした。

 

探し始めたのが遅かったこと、定期契約できる人が少なかったのかなかなかマッチングしなかったので見つかっただけでもありがたいとも思ったのですが、食事は毎日のことだし、子どもに食べさせたくないと思ってしまったので、やむなく新しい方を探しました。

 

次にマッチングした方は1回目はなかなか良い感じでした。

味付けも良かったので、定期でお願いすることにしたのですが、献立を考えてほしいと言われてしまいました。

 

家事代行サービスでは献立は提案される印象だったので少しびっくりしましたが、また違う人を探すのも大変で、入院も迫っていたので仕方なく献立は私が病院で考えることになりました。

 

そして

  1. 私が献立を考えて
  2. 私が必要な材料のリストを代行の方に確認する
  3. OKなら私がネットスーパーで注文する
  4. 届いた食材を夫が冷蔵庫に入れる
  5. 代行の方に作ってもらう(義母立ち会い)

 

というような流れで進めていました。

 

これがまた大変だった…

 

まず献立考えるのめんどくさい。料理のめんどくさいところの一つですよね。ここ丸投げできないのほんとキツかった。しかも自分が食べないし。

 

あと食材の調達が結構大変でした。ネットスーパーは魚系の品揃えがイマイチで、店舗に行けば絶対あるだろうに、ネットでは注文できない品物とかもありました。

ネットスーパーメインで生活していたことはないので、この辺の感じはよくわからなくてキツかった。

そして揃わなかった食材を追加で買ってもらうように夫や義母に頼んだりしたのですが、連絡がうまくいかなかったりしてたまに冷蔵庫に入ってないと代行の人に言われたりしました。

 

正直、知らんよ…と思ったよね。

 

もうちょっと上手いことやってくれたらたすかったんだけどな。

 

ちなみにうちではカジーを使っていました。

 

キッチンにテプラ貼りまくる

次にやったことは、キッチンにあるものを分かるようにすることです。

自分がいないので、どこに何をしまっているかを聞いてもらうこともできないので、できる限り何をしまってあるか棚にテプラで貼りまくりました。

 

  • 常温保存の食材
  • 調味料
  • ふきん
  • 調理器具
  • 保存容器
  • ラップ類

使いそうかなと思うものは全部。

調味料は冷蔵庫に入れているものもあるのでそれもテプラでメモを残したり。

 

これは産後、別のサービスで料理をお願いしたときにも役に立ちました。

 

長男の朝食を伝授

大きな声では言えませんが、この頃長男の朝ごはんは毎日同じでした。

 

キャベツ、冷凍野菜、挽肉を卵や小麦粉で混ぜて焼いたお好み焼きのようなものとご飯です。

 

これの作り方のみ伝授し、4日に1回作って1枚を1/4に切って冷凍することを習得してもらいました。

 

夫は動画とメモを取って、私が適当に作っていたものを数値化し、なんとか作れるようになりました。

 

余談ですが、このお好み焼きを作る動画は長男が大好きで、一時期ずーっと見ていました。そのおかげ(?)で長男は卵割りがめちゃくちゃ上手です。

 

こうしてなんとか2ヶ月近くの間、料理を作らなくても生活できていたようです。

 

もし誰かの参考になれば幸いです。

双子のうち姉だけ退院 妹の病院はどうする?

別々の病院のNICUに入院していた双子。姉は呼吸が安定したので3週間ほどで退院となりました。

 

姉の病院も妹の病院もどちらも2歳以上の兄弟は予防接種をちゃんと受けていて、医師の診察を受ければNICUへの入室ができてきょうだい面会が許されていました。

 

が、きょうだい面会は2歳以上なのです。つい最近までNICUにいた赤ちゃんでも、一度出てしまうともうNICUには入れなくなるそうで、姉が退院しても妹の入院する病院のNICUには入れないと聞いて、

 

正直「え?どうしろと?」と思いました。

 

我が家は近くに親族はおらず、まだ産まれたて、しかもNICUから出たての赤ちゃんを見てもらえる人はいません。

夫は仕事。

姉が退院してきたら、妹の病院には来れなくなるのです。

 

この頃の妹はもう少しずつ母乳を飲み始め、直母の練習中でした。完母のつもりではなかったけど、ただでさえ1500gほどで産まれ、すぐ手術した妹。免疫が高いと言われる初乳は私と同じ病院にいた姉にあげてしまったこと、姉の病院には毎日行って、妹の病院には何日かに1回しか来ないことなど、同じ双子なのに扱いに差が出てしまったことで妹にはかなり負い目がありました。

 

また妹はお世話に気を使うことも多く、ただでさえ初めて我が子が複数になり、体の負担も大きいので、私自身に余裕がなく、このまま姉にばかり慣れると妹を可愛く思えない、極端なことを言えば育児放棄のようなことにならないかとても不安でした。いつも「この子を可愛がれるだろうか?」と不安に感じていたからか、この頃の写真の私は妹を抱っこしながらとても不安そうな顔をしています。

 

そんな状況で姉が退院することは嬉しいものの、新しい生活リズムを作らなくてはいけないことの方が不安でした。

 

妹の病院から、遠くからこの病院に通う子の家族が泊まれる施設があり、そこできょうだいの預かりもできて、赤ちゃんでも大丈夫だと教えてもらいましたが、当時は車もなくバスで通っていたので、冬の感染症が多い中、新生児をバスで1時間近く移動させて挙句預けるというのは抵抗がありました。

 

 

結局、家から車で5分、10分ほどのところに助産院があって新生児から預かりができるということだったので、1回8000円程と高額でしたが助産院なので安心料だと思ってそこにお願いすることにしました。

ここは後に産後ケアでもお世話になり、皆さん良い方でほんとに癒されました。ありがたい。

 

助産院への往復はタクシーと割り切り、預けた後はバスで病院に向かいました。

 

こうして平日は週2回ほど妹の病院に通い、土日のどちらかは家族全員で行って、父母交代で妹のベットサイドへ、残った方はお兄ちゃんも姉を病院のキッズスペースで見守るというリズムで妹の退院まで頑張りました。

 

 

 

双子出産 退院後の生活は想像以上に辛かった

34週に緊急帝王切開で双子を出産し、姉は産まれた病院(大学病院)のNICUに、妹は緊急手術のため別の病院(こども専門病院)のNICUに入院することになりました。

 

私は一人で病室で過ごし、6日目に退院しました。

 

姉は2000g近く、安定していたので2,3週間で退院できるかもしれないと言われており、母は退院した翌日から母乳を届け、お世話に慣れるために通うことになりましたが…

 

このおかげでメンタルがボロボロでした。

普通、産後1ヶ月は無理しない、何もしない、赤ちゃんのお世話だけして体を休まなさいとかいうのに、なぜ子どもがNICUに入ったら当たり前のように毎日病院に通わなきゃいけないのでしょうか?

 

 

病院では当然のように

「今日は何時までいられますか?」

「明日は何時に来ますか?」

と聞かれ、「明日は来ません」なんて言うことは許されない空気でした。

 

本来なら産後の入院は母子同室でべったり過ごすことを考えれば、出来るだけ長くそばにいてお世話になれてほしい病院の気持ちはわかります。

 

でも妹の病院にも行かなきゃいけない、お兄ちゃんのお世話もしなきゃいけない、移動でバスに乗ったら歩いたりと、私は1週間前に腹切ったばっかりですよ!

 

と正直泣きそうでした。

 

産後のメンタルが不安定な時に追い詰められたように病院に通い、正直すごく辛かった記憶です。

 

もちろん娘達は可愛い。

小さいながらも一緒懸命に生き、日々増える体重や母乳を飲む量を見るとほんとに生まれてきてくれてありがとうと思いました。

 

でもそれとこれは別。

搾乳は3時間ごとにして、搾乳機の洗浄や病院にも持っていくための準備もしていました。

 

病院から休ませてもらえないことにより、不安が増し、体が持たないと家で泣き言ばかりでした。

 

退院したのは12月下旬。翌日から毎日姉の病院に通い、2,3日に一度は妹の病院にも行き、2つの病院をはしごする日もありました。

夜中も3〜4時間ごとの搾乳をして、ただただしんどかったです。

結局年末まで病院に行かなかったのは限界に達して家で大泣きした結果、「明日は行かない」って言いなと旦那に言われたので勇気を出して行かないと言った1日だけ。

お正月も元旦だけ休んでまた通う日々でした。

 

1月上旬に姉が退院。

妹はまだまだ退院できる状態じゃなかったため、ここからがまた大変でした。

 

一人だけ退院した後の話はまた別の記事で。

 

食道閉鎖の子の食事

娘の食道閉鎖はc型で隙間も短かったので1度の手術で根治できました。

 

ミルクの時は問題なく飲めていて、食道閉鎖である事は普段は何も感じずに生活していました。

NICUにいる時から「離乳食が始まると詰まったりする子もいるので、様子を見ながら進めることになると思います」とは聞いていました。

 

が、こんなに大変なものとは正直思っていませんでした。

 

今は1才4ヶ月。修正で1才3ヶ月ですが、まだ離乳食中期から後期を行ったり来たり…

水分が少ない焼いたおかずのようなものはほぼ食べられません。

 

上の子、双子姉もいる中で仕事もしているので食事ばかり作っているわけにもいかず、申し訳ないですが妹の食事はベビーフードに全力で頼っています。

 

朝ごはん:ベビーフードとお粥(5倍粥、冷凍なのでちょっと固め?)

昼ごはん:保育園で給食

夜ご飯:1週間分まとめて作った野菜とタンパク質込みのお粥

 

ずっとこれです。毎日。ほんと保育園には言えない。

 

でも手作りで作ると固さや大きさが不安定なせいか、よく吐いてしまうので手作りで吐いてしまう食事と、ベビーフードでも吐かずに食べられる食事、どっちがいいんだろうと思ったら、ベビーフードになりました。

 

自分が作った食事で子どもが吐くのをみるのは辛いし、良かれと思って作った食事をほとんど食べられずに吐かれたり捨てたりするのもしんどく、いろんな意味でメンタルがグッとくるので、私は笑顔で食卓を囲める方を選びました。

 

双子じゃなかったら…私が働いてなかったら…、と思うこともありますが、双子で生まれてきたものは仕方ないし、私は子育てに専念するのは無理なタイプとわかっているのでここは割り切ります。

 

色々ググったりしましたが、食道閉鎖の子のブログは少なく、さらに複数のお子さんがいる人はもっと少なかったので、同じような方のためにもまた食事については書いていきたいなと思います。

双子妹 先天性食道閉鎖症でした

ずいぶん書けていませんでしたが、ちょこちょこ書いていこうと思います。

 

双子は無事に産まれましたが、34週で小さいためすぐにNICUへ。

母はお腹を塞いでベッドに乗せられ、病室へと戻りました。

 

しばらくして夫が戻ってきて、「良くない知らせがあるよ」と言いました。

大したことではないだろうと思っていた私に夫が告げたのは、双子妹の先天性の異常でした。

 

先天性食道閉鎖症のため緊急搬送

双子の妹の食道と胃が繋がっていないこと、外科の手術が必要なこと、この病院では小児外科がないので手術できる病院に搬送されることを夫から伝えられました。

 

私の感想としては

 

え?ちょっとよく意味がわからないけど…まぁそういう事ならしょうがないよね。

 

って感じでした。

何せこっちはお腹切って麻酔が効いてて動けない。もう父に任せるしかないんでね。

あとはよろしくって気分でした。

 

搬送先の病院が決まったら準備が整い次第すぐ向かうと夫から聞き、実際救急隊の方が来たので「赤ちゃんをエレベーターホールにお見送りに行きますか?ベッドごと行けますよ」と看護師さんに言われても

「え、いいです…」と思わず断ってしまうくらい他人事でした。

なぜだろう、今でもわからないですが、そんなベッドごと移動するの大変だし、私が見送っても何も変わらないでしょ…と思ったんですよね。

 

「いやいや、行きましょう」と看護師さんに半ば強制的にベッドごと連れて行かれてお見送りに行き(でもベッド低過ぎて搬送の保育器に入った我が子はほぼ見えなかった笑)、娘には「頑張るんだよ」、付き添ってくれた新生児科の先生に「よろしくお願いします。」と伝えて見送りました。

 

私は娘が先天性の病気を持って生まれたことに対し、何とも思いませんでした。

 

自分が何か悪かったのかとか、これからどうなっちゃうんだろうとか

 

ほんとに何とも思っていなくて、「あー、そうなんだ」ってだけでした。

 

付き添った夫からは定期的な報告があり、21時頃生まれた双子は12時頃に一人搬送、明け方には手術が無事終わったと連絡がありました。

 

手術直後の娘は当然手術した病院からすぐに戻ってくることは出来ず、2人別々のNICUに入院することになり、退院後は2箇所のNICUを行き来する生活が始まりました。

 

双胎間輸血症候群(TTTS)発症 34週4日で緊急帝王切開で出産しました

双子の管理入院43日目。

 

おもむろに先生から「ちょっとエコーいいですか?」と声をかけられてから1時間もしないうちに緊急帝王切開となり出産となりました。

 

緊急帝王切開になったのはなぜ?

緊急帝王切開の理由は双胎間輸血症候群(TTTS)により、双子の羊水量に差が出始めたことでした。

羊水量が適量でない状態で長くお腹に留めておくと、羊水が多い子も少ない子も心不全や腎不全などの問題が出るので早い対処が必要なようです。

 

私の場合は羊水量に差があっても2人とも元気に動き回っていて弱った様子や血流などにも異常はなかったものの、翌日も元気でいる保証はない状況であること、34週を超えていて母体から出しても十分生存できる程度には成長しているため、緊急帝王切開での出産となりました。

 

緊急帝王切開の準備とは?

手術はオペの準備が整い次第開始予定、

先生からは「すぐにご主人に来てもらうように連絡してほしいですが、状況によってはご主人の到着を待たずに手術になるかもしれないのでそれも合わせてお伝えください」と言われました。

 

看護師さん達がわらわらと集まり準備してくれようとしているところを少し抜けて主人に電話。

「今日、今から手術で出産だって。悪いけどすぐきて」と連絡。

長男をどうするかですが、たまたま義母が来ている日だったので主人が

 

・今日出産になったのでそのまま見ていてほしいこと

・ご飯だけ食べさせてお風呂は入れなくていいから寝かしつけてほしい

・どうしても寝ないなら連れてきてもいい

 

と伝えたようです。

義母は長男を寝かしつけたことがないですし、パパもママもいない夜は初めてなのでもしかしたら泣いて寝られないかもしれない…ということを懸念しましたが、後で聞いてみると「パパがいい」とグズったようですが最終的には寝られたようで、安心しました。

 

緊急帝王切開の準備

看護師さんたちがワラワラと集まってきて色んなところを同時に準備していただきました。

 

まずは着替え。ショーツ一枚になりガウンに着替えます。

 

そして帝王切開なので除毛。電動のレディースシェーバーで上の方を少し剃られました。

 

それから着圧ソックスの採寸。帝王切開後は下半身を動かせないため、血栓症の防止に着圧ソックスとマッサージ器がつけられるのでそのソックスのサイズをチェック。

 

胎児心拍のモニターもつけました。緊急ということで、胎児の心拍などが落ちていないかをチェックするため…かな?

 

点滴用の針も入れて、準備完了。

 

準備している間に主人も到着し、主治医の先生から双胎間輸血症候群の疑いがあること、

このまま進行すると2人の赤ちゃんそれぞれに問題が出てくる可能性があることから緊急帝王切開にて出産にします。

と説明があり、同意書にサインをしました。

 

手術室の準備が整い次第、手術のために移動します。と言われてしばしベッド上待機。

 

手術室で麻酔準備、帝王切開術開始

少しして手術室の準備が整ったとのことで、移動直前に最後のエコー。

向きや胎児の様子を確認したのかな…?ささっと先生が見て「はい、行きましょう」で移動になりました。

 

車椅子に乗って手術室へ。

手術室の前で麻酔科の先生や手術部の看護師さんの挨拶があり、名前やアレルギーの確認をされました。

車椅子で手術台のそばまで行って、自分で台の上へ上り、麻酔の準備が始まりました。

 

帝王切開なので胸から下だけの麻酔で、背中を丸めて処置していきます。

 

2回ほど注射をされました。上の子のときもやったので2回目なのですが、背中から針をさされるのは怖いものです…。

麻酔が入ると、またワラワラと人が集まりまた準備が進められていきました。

 

お腹の上にシートをかけられて顔の前にバーがつけられてシートで隠されているし、体は触られても麻酔でわからないので何が起きてるのかはさっぱりわかりませんが、着々と準備が進められました。

 

手術開始、双子誕生

準備が終わった後、先生の「これより…なんちゃらかんちゃら(良く覚えてない)、帝王切開術を始めます。手術終了予定時間は20時45分、予定出血量は羊水込で1500mlです。よろしくお願いします。」みたいなこと言って手術スタート。

 

上の子のときは手術開始から2分くらいで赤ちゃんが出てきました。

「4時30分手術開始します。」

「4時32分、出ます。」

みたいな感じだったので、「え、もう?」とびっくりしたのを覚えています。

 

今回もそんなノリだと思っていたので、切ったらすぐ赤ちゃんの泣き声が聞こえるかと思ったら全然聞こえない。

 

先生たちも無駄口叩かないからどうなってるのかさっぱりわからないけど、一生懸命なんかやってることだけはわかって、子ども達は無事なのかめちゃくちゃ不安でした。

 

しばらく先生たちは頑張っていて、そのうち泣き声が聞こえて1人目が出てきました。

まずは大きい方の一子が誕生しました。

 

もう1人は羊水が多い二子ですが、卵膜を破った途端にバシャっと水が飛び散りました。ほんとに水風船が弾けたかのように破裂し、床に水が飛び散るほど。

そんなに羊水がぱんぱんだったのかとびっくりしましたし、先生達も驚いていました。

 

その後無事にもう一度泣き声が聞こえて、2人の子がちゃんと泣けたことに本当にほっとし

ました。

 

カンガルーケアもできた

生まれた2人は34週なのでまだ小さく、カンガルーケアは難しいかもしれないなとうっすら思っていましたが、お姉ちゃんはできました。

 

手術台の上でお腹は先生達が処置を続けていましたが、

「赤ちゃんきますよー」と言われて胸の上に乗せてくれました。

 

上の子はカンガルーケアをしていないのではじめての経験。

乗せてもらったものの、胎脂まみれの子を見るのも初めてでどうして良いものやら…

少し撫でたりもしましたが、ただ眺めていたというのが正確なところかもしれません。

 

妹ちゃんは顔を見せてもらいましたが、胸の上に乗せてもらうことはできず、近くに連れてきてくれたときに少し手を触れただけで連れて行かれてしまいました。

今思うと妹は1500g程度しかなかったのでカンガルーケアをするより医療のケアが必要だったのかもしれません。

 
ずいぶん長くなってしまったので一度ここまでで。

双子の管理入院ってどんな生活?1日のスケジュールは?

入院して1週間が経ちました。

この1週間のスケジュールを振り返ってみます。

 

入院初日

午後から入院。入院当日はお風呂に入れないので、自宅で入ってくるように指示がありました。

 

入院手続きをしたら病棟へ。ベッドに案内してもらって、荷物を置いたら早速検査でした。

 

採血に心電図、レントゲンを撮って、主治医の先生から出産に関する説明、帝王切開の予定なのでリスクの説明などをしてもらい、胎児の心拍モニターをつけて終わりました。

 

入院2日目

朝から主治医の先生がきて診察でした。

2週間ぶりの検診で、順調に2人とも大きくなっていること、羊水量に差がないことなどを確認。

 

毎朝の日課として血圧、体温、酸素飽和度を測り、胎児の心拍モニターをつけます。

 

午後は内診で子宮頸管も短くなっていないかを確認して診察終了。

 

暇だったので院内の売店へお散歩。2日目にして白米に飽きたので、ふりかけを調達してきました。

 

シャワーの予約時間になったらシャワーを浴びて、後はご飯まで自由に過ごします。

 

初日の採血で貧血気味だったので、夜から鉄剤が処方されました。

 

入院3日目

日課の計測とモニターが終わったらやることなし。

 

基本的に計測とモニターは午前中にやりますが、入院している妊婦さんが順番にやっていくので何時になるかはわかりません。

なので午前中は基本ベッドから離れずに過ごします。

 

シャワーは予約制なので、午後を狙って予約をとり、診察がなければ午後の予定はシャワーだけということです。

 

この日は夜に院内のお散歩。展望ホールがあると聞いて、院内のコンビニでデザートを買って展望ホールで夜のおやつタイム。

体重増やしちゃいけないのですが、たまには息抜きしないと…ね。

 

入院4日目

この日も3日目と同じく、午前中の日課を終えるとやることなし。

金曜日で、思い立ったように土曜日の外出許可を申し出ました。(急でごめんなさいでしたが…)

 

そのおかげで午後に主治医の先生から許可書をもらいました。

外出条件は、外出前に診察して子宮頸管が20ミリ以上あること、戻ったら胎児の心拍モニターをすることでした。

 

金曜日は先生の回診がありました。いつもは5名くらいいるらしいですが、この日は2人で「今日は少ないのですが、いつもはもっとゾロゾロいます」だそうです。

 

入院5日目

土曜日で息子と主人が来てくれる予定でした。

お昼を一緒に食べたかったので11時頃外出する予定にしていました。

 

朝から日課の計測とモニター、診察を終えて無事外出OKだったので、支度をして外へ!

 

たかだか数日ぶりですが、なんだか新鮮でした。冷静に考えるとロクに外気にも触れないので、入院は自宅での引きこもりとはまた違う感じですね。

 

子どもに会い、外に出ると早く退院したいとつくづく思いました。

大きいお腹で育児や家事をするのはしんどくて、家にいた頃は「早く入院したら楽になるのかな」と思っていましたが、やっぱり家族と離れた生活は寂しく、子どもより母が泣きそうでした。

 

病院に戻った後はモニターで双子が元気なことを確認。

 

入院6日目

日曜日ですが、息子が連続でママに会うと帰る時、余計に寂しくなるからとパパは病院に来ない宣言。母が寂しい。

 

この日も日課の計測とモニターのみで他の予定は無し。

というか、週一回の診察以外は基本的に午後は予定がないんだなとわかりました。

 

入院7日目

ここも日課の計測とモニターのみ。

月曜日だったので誰か来るということもなく、ただただ暇してました。

 

1週間分の着替えしか用意してなかったので洗濯しました。

ランドリーが同じ階にあったのはありがたかった。

 

ランドリーは洗濯から乾燥まで一気にやってくれるのが1台、洗濯だけ、乾燥だけのものが1台ずつありました。

初めてだったのでタオルとかは加湿のためにも洗濯のみ、下着やパジャマは乾燥機も、とやってみましたが途中で取り出すのめんどくさいから次から一気にやってくれる方にしよう。

 

こんな感じで1週間が過ぎていきました。

 

その後は?

最初の1週間で記事を書いたのに、公開まで時間を空けてしまいました。

 

1週間以上過ぎて、何か新しいイベントがあるのか?というところもついでに書いてみます。

 

まずはちょいちょい部屋の移動がありました。

 

私の場合は1週間後に最初の大部屋から同じ病棟の別の大部屋へ。

そのまた1週間後に隣の病棟の個室へ。

2週間後に個室を出てまた最初の病棟の大部屋へ戻ってきました。

 

あとは妊婦健診が2週間に1度。といっても尿検査と体重測定、腹囲の測定とかだけです。

体重増加にドキドキするタイミングです。

 

それから大体1週間に1回エコーがありました。

先生の余裕がある時間にくるのか、曜日はバラバラなのですが、大体1週間に1回。

 

イベントとしてはこんなもんでしょうか。

 

稀に毎日の午前中のモニターで引っかかり、急遽エコーや診察が入り、午後にモニターの再検査がある日もありました。

 

人によっては午前、午後で基本1日2回モニターをやることになっていたり、1日の中で何度か血圧を測っている人もいるようですが、今のところ切迫兆候もないし血圧、血糖、むくみも全てナシ(ちょっと体重増えすぎ)の私は午後はシャワー以外予定なしという流れです。

 

ご参考になれば幸いです。